藤井游惟(ふじいゆうい)


言語学・日本語学・社会学・東洋史学・宗教現象学などの学際研究者。
ディシプリンに関係なく興味を持ったテーマを追求して研究する。

尊敬する人物:(社会科学者)小室直樹、(言語学者・文化人類学者)西江雅之

●1958年4月7日 
教育心理学者の藤井悦雄の次男として千葉県柏市で生まれる。出生二カ月後に父の仕事の関係で大阪府に転居、以後高校卒業まで大阪府堺市及び富田林市で育つ。
ただ、両親が東京出身であるため標準語と関西弁(南河内方言)の二重方言話者として育つ。

●1971年3月 堺市立東陶器小学校卒業。
●1974年3月 富田林市立第三中学校卒業
●1977年3月 私立大阪明星高等学校卒業

・小学校卒業までを過ごしたのは仁徳天皇陵を中心とする世界遺産「百舌鳥古墳群」のある堺市郊外であるが、この東陶器小学校の「陶器」というのは「須恵器」のことで、堺市と合併される以前は「陶器村」と言われていた地域であり、日本書紀の崇神紀に登場する「茅渟県の陶邑」の跡地で、宅地造成などで地面を掘り返すと5~7世紀の窯跡や須恵器の破片がごろごろ出てくる土地柄である。
・小学校卒業と同時に10キロほど東の富田林市に転居するが、ここも記紀万葉に盛んに登場する地域で、聖徳太子が生まれたという伝承のある太子町、応神天皇陵を中心とする世界遺産「古市古墳群」のある羽曳野市に隣接し、難波の津と奈良を結ぶ「日本最古の国道」と言われる「竹ノ内街道」や、聖徳太子と蘇我馬子が物部守屋と戦ったとされる587年の「丁未の乱」の石川古戦場も近い。
・明星高校は大阪市天王寺区で「大坂冬の陣」の際の「真田丸」の跡地に建っている学校であるが、現在も発掘が進んでいる難波宮跡地のすぐ近く(歩いて15分程)であり、毎日古市古墳群の応神天皇陵の前を通って難波宮跡地のすぐ近くまで通っていたのである。

このように筆者が高校卒業まで過ごしたのは奈良時代以往の古代史と非常に因縁深い土地ばかりであり、筆者の話す関西弁は、まさに「記紀万葉」に上代特殊仮名遣いで記されている由緒正しい「南河内方言」であり、上代語のアクセント等については自らインフォーマントになれる。

800m ・なお、筆者は中学・高校時代は陸上部に所属する中距離ランナーであり、高校三年時に大阪府高校陸上選手権大会800mで優勝したほか、多数の優勝・入賞歴がある。

●1982年4月 早稲田大学第一文学部入学
1982年3月 1年留年の後、同学部東洋史学専攻を卒業
卒業論文:「元の日本来襲の意図と経過」

・大学受験の際は関西の大学を中心に多くの大学から陸上選手として勧誘を受けたが、振り切って早稲田に入学。
  悩んだ末、陸上を止め、応援部吹奏楽団に入ってクラリネットを始め、以後今日までにクラリネット以外にフルート・サックス・トランペットも吹けるようになり、現在も4種10本の楽器を駆使して演奏活動を行っている。
・文学部に入ったのは、高校が男子校であったため女子がたくさんいる学部に入りたかったことと、子供の頃から歴史が好きだったためであり、5つの大学を受験したが全て文学部のみである。

●1982年4月 株式会社ホテル・パシフィック東京に入社
・この時に社会科学者小室直樹の著作に触れて感銘を受け、社会学を学ぶべく同社を退社。

●1984年4月 早稲田大学第二文学部社会専修へ学士入学、1986年3月学卒業
卒業論文:「宗教としての巨人軍―巨人ファンに見る日本教の倫理と資本主義の精神―」 

●1986年(昭和61年)4月 早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻入学
●1990年(平成2年)3月 同大学院修士課程修了
修士論文:「宗教性の諸相とその全体像―常識からの考察―」

●1989年大学院在学中に「ラボ国際交流センター 日本語教師養成講座」(420時間コース)を受講、修了。「1989年日本語教育能力検定試験」に合格。

・この講座は誰でも入学できる民間講座であるが、その講師陣は下手な大学院などより遥かに充実しており、言語学概論を田中春美、意味論を池上嘉彦、音声学を今田滋子、日本語学概論を南不二夫、日本語史を白藤禮幸、文字・表記論を林四郎、日本語音韻論を桜井茂治、言語生活を宇野義方、日本語教育法を奥津敬一郎等々の錚々たる講師陣から学ぶ。

●1990年8月~1994年2月 韓国 大田実業専門大学観光日語科 専任講師
●1994年3月~1995年2月 韓国 聖心外国語専門大学日語科 専任講師 

韓国で約四年半を過ごし、韓国語を覚えたことが、後の「上代特殊仮名遣い」研究に大きく資する。

●1995年3月~1998年3月 国際交流基金海外派遣日本語教育専門家として香港総領事館日本語講座主任講師

●1999年4月~2001年3月 埼玉大学大学院文化科学研究科 日本アジア研究専攻 修士課程 

・この大学院に入ったのは、日本語教育専門家としてのグレードアップのため、日本語関係の修士号を取得する目的であったが、在学中にインターネットを始め、歴史作家井沢元彦の「逆説の日本史」のサイトの掲示板における古代史論争から「上代特殊仮名遣い百済帰化人記述説」を着想し、修士論文のテーマを変更する。

修士論文:「上代特殊仮名遣いと朝鮮帰化人」

●2000年8月~2003年7月 大学院在学中から財団法人交流協会(対台湾外交専門の外務省外郭団体)日本語専門家として、台湾高雄事務所勤務

この、香港及び台湾で計六年過ごしたことで、中国語の各種方言を耳にした経験が「上代特殊仮名遣い」の研究に大きく資する。

●2001年5月 国語学会(現日本語学会)春季大会にて「上代特殊仮名遣いと朝鮮帰化人―オ段甲乙音を中心に調音音声学と朝鮮語音韻論からみた万葉仮名―」を口頭発表  

●2002年10月 日本音声学会全国大会にて「日本語/O/母音の円唇化法則と上代特殊仮名遣い」を口頭発表

●2007年10月 「白村江敗戦と上代特殊仮名遣い-「日本」を生んだ白村江敗戦 その言語学的証拠」を上梓

●2010年3月 日本中国語学会第 4 回関東支部拡大例会にて「日本漢字『呉音』の原型は山東方言音‐漢字音は山東→朝鮮→日本と伝播した」を口頭発表

●2010年10月 朝鮮学会言語部会にて「『日本書紀α群』『古事記』同一歌の借音仮名の朝鮮語と中国語による発音の比較」を口頭発表

●2014年4月 朝鮮史学会例会(於:東京大学)にて 「白村江亡命百済人達により律令制国家「日本」は成立した―その言語学的証拠」を口頭発表

論文:
‐「元の日本来襲の意図と経過」 1982年 早稲田大学第一文学部卒業論文
「宗教としての巨人軍―巨人ファンに見る日本教の倫理と資本主義の精神―」
1986年 早稲田大学第二文学部卒業論文
「宗教性の諸相とその全体像-「常識」からの考察-」 
1990年 早稲田大学大学院文学研究科 修士論文
「副詞『大体』『大抵』『大概』の用法」 1996年 香港日本語教育研究会誌 第八号
「君の名は?-女性名のイメージ研究」 1996年 香港日本語教育研究会誌 第八号
「近代日本の世界史的意義」 1997年  日本学刊 創刊号 香港日本語教育研究会

 「入学試験受験生の行動性向―申し込み順・会場唐着順と成績の相関関係」
1998年  日本学刊 第2号 香港日本語教育研究会
「上代特殊仮名遣いと朝鮮帰化人」 2001年 埼玉大学大学院文化科学研究科修士論文
「白村江敗戦と上代特殊仮名遣い-「日本を生んだ白村江敗戦 その言語学的証拠」
2007年 東京図書出版会