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条件異音(conditional allophone)

  本書を理解する上での最大のキーワードが、言語学・音声学に於ける「条件異音」(conditional allophone)という概念である。
  
   音声学(phonetics)は、研究対象が言語一般であれ、日本語・英語・中国語などの個別言語であれ、言語研究を志す者なら必ず履修すべき基礎科目の一つである。
  そして、初学者が履修する『言語学概論』『言語学演習』といった教科書では、まず「言語学とは何か」という総論を述べた後、各論の第一章には必ず「音声・音韻」という章が置かれており、それは2~3回の授業で終わってしまう分量であるが、この「条件異音」という概念は、そこで教えられるきわめて初歩的な概念。


   従って、この「条件異音」という概念は、言語研究者なら「知ってて当然、知らなきゃモグリ」の基礎知識のはず・・・・・なのである。

  ところが、日本の大学の言語関係学科は、外国語大学などを除き、「国文科」「英文科」「仏文科」といった「語学」よりも「文学」に重点を置く学科が大半であり、そういう学科では「音声学概論」はおろか「言語学概論」程度の授業さえ必修になっていない場合が多いため、現実にはこの概念を正確に理解している言語研究者は極めて少数、大半は机上の空論として「言葉だけは知っている」に過ぎない。

  特に 「音声学」が実践的に必要になるのは、自分にとって外国語の発音の研究や教育の際であるが、日本人自身が日本人読者を対象に日本語を研究・教育する「国語学」にとって、音声学は無用の長物であるため、「上代特殊仮名遣い」というテーマの「専門家」として自他共に任ずる国語学者の中にはこの「条件異音」という概念をマトモに理解している者は一人もいないと言っても過言ではない。

  筆者説に対して寄せられる国語学者からの「『記紀万葉』を書いていたのが百済人だったなんて、そんなバカなことがあるかい!」式の批判は、この「条件異音」という概念・現象に関する無知・誤解から生じる「タワゴト」に過ぎない。
  そのような「タワゴト」に惑わされぬよう、この概念だけはしっかりご理解頂きたい。

 

1)音声学(Phonetics)と音韻論(Phonemics)

   言語音声を扱う学問には、「音声学」(Phonetics)と「音韻論」(Phonemics)の2つがある。
 
音声学(Phonetics):
世界中の言語音声を万国共通の客観的基準(外部基準)に基づいて分析してゆくもの
 (音声学には厳密に言うと三種類あるが、言語学者が単に「音声学」という場合は「調音音声学」を指す 
(注:「3つの音声学」)

音韻論(Phonemics):

日本語・英語・中国語といった個別言語の独自の主観的基準(内部基準)に基づいて、当該言語の音声(音韻)を分析してゆくもの

   即ち、音声学は世界中の言語を研究対象とする一般言語学の一部門であるのに対し、音韻論は、日本語・英語・中国語などの個別言語学の一部門である。
 
単音(phone)とIPA(国際音声字母)

   音声学でも音韻論でも、言語音声をまず声帯が振動することによって発せられる「母音」(vowel)と、それ以外の音である「子音」(consonant)に分類することは同じである。(注:「母音と子音)」

   但し、音声学と音韻論では母音・子音の分類の仕方と記述の仕方が異なる。

  音声学(Phonetics)では、一つ一つの母音・子音を「単音」(a phone)と呼び、それを記述する際には、ローマ字(アルファベット)を基本に、それを変形したり、ギリシャ文字などを加えた[a]、[i]、[u] [e]、[o]、[ɐ]、[ɶ]、[ʃ]、[ʁ]、[ɸ]、などの「国際音声字母(International Phonetic Alphabet)」略称「IPA」と言う記号を用い、それを[ ]で括る

  世界中のあらゆる言語の発音を研究対象とするのが音声学であり、人間が発音可能な全ての音を網羅するため、このIPAを用いて記述される個々の「単音」(a phone)の分類は非常に細かい。
  IPAの一字一字がどういう発音に対応するかは国際会議で決められ、定義を勝手に変えることは許されない。
   従って、IPAと発音の関係に習熟すれば、これで書かれた世界中のどんな言語の発音でも再現できるわけで、英和辞典などにも用いられているから見たことがあるだろう。
 
音素(phoneme)と音韻記号

   一方、日本語・英語・中国語といった個別の言語や方言が意味伝達のために用いる音は、人間が発音可能な全ての母音・子音の一部であり、母音・子音のどの部分を用い、またそれらをどのように分類するかは各言語・各方言毎に異なる。

   研究・教育制度の発達した文明国家では、自国の言語では幾つの母音・子音を用い、それらをどのように区別するかは既に解っており、当該言語独自の基準に基づいた母音・子音が「音素」(a phoneme)、その集合体が当該言語の「音韻体系」(或いは「音素体系」(system of phonemes)と呼ばれる。
  そして、既にわかっている当該言語の音韻体系に基づいて当該言語の音韻現象を論じてゆくのが「音韻論」(phonemics)である。

   例えば、日本語の母音は/a/・/i/・/u/・/e/・/o/の5種類であることは既に平安時代から解っている。
   そして、「白」は単独では/siro/と発音されるが、「白川」という複合語になると/sira-kawa/と末尾の母音が/o/から/a/へと変化する・・・それはなぜか? といった研究をするのが日本語音韻論である。
   
   各言語別の「音韻論」で発音を記述する時は、/a/・/i/・/u/・/e/・/o/というふうに/ /で囲まれた発音記号(音韻記号)を用いる。

    この/ /の中に用いる記号はローマ字とは限らず、事前に定義しておけば(或いは定義しなくてもわかる場合は)カタカナでもひらがなでも漢字でもハングルでも何でもよい。
  例えば、日本語を論じている場合に/カ/と書いてあったら、これは日本語話者が「カ」だと思っている音、朝鮮語(韓国語)を論じる場合に/가/と書いてあったら、それは朝鮮語話者が「가」だと思っている音だと言う意味である。

   日本語を論じる場合にもローマ字を用いることが多いのは、カタカナだと子音と母音に分けて論じることができないからであるが、ローマ字で書いてある日本語の/ka/が必ずしも万国共通基準の[ka]であるとは限らないので要注意である。

2)音素(a phoneme)と音節(syllable)

音素(phoneme)は当該言語(方言)の「音の元素」

  繰り返しになるが、日本語・英語・中国語といった個別言語(方言)が意味伝達に用いる音は、人間が発することの出来る母音・子音全体の一部であり、母音・子音のどの部分を用い、それをどのように分類するかは言語(方言)によって異なる。

  音韻論に於いて、当該言語(方言)のあらゆる発音を分析し、用いられる母音・子音を分類していって、それ以上分割できない音の最小単位とされるのが「音素」(a phoneme)である。
  言い方を変えれば、当該言語(方言)の全ての発音を構成する「音の元素」が音素(phoneme)である。

  例えば、日本語(標準語)の全ての発音を分析してゆくと、母音音素は/a/・/i/・/u/・/e/・/o/の5つ、子音音素は/k///s/、/t/、/n/、/h/、/m/、/j/、/r/、/w/、/g/、/z/、/d/、/b/、/p/、/ch/、/ts/、/f/、(さらに促音/ッ/、撥音/ン/、長音/ー/を「特殊音素」と呼ぶ)があることが解る。
(注:/ch/、/ts/、/f/)
  そして日本語の全ての発音は、これらの母音・子音音素の組み合わせからなる100数種類の「音節」(syllable)で構成される。

50音図「音節」(syllable)

  「音節」(syllable)というのは、最低一個の母音音素と子音音素の組み合わせで構成され、ひとかたまりで発音される単位である。

   日本語で言えば、小学校の教室に貼ってある「アイウエオ カキクケコ」の所謂50音図が大体それに当たると思えばよい。

  物理・化学に例えて言えば、水素・炭素・窒素・酸素・・・・・などの「元素(原子)」が「音素」、その元素の組み合わせで構成される「水(H2O)」、「二酸化炭素(CO2)」などの「分子」が「音節」だと思えばよい。
  (但し、音節の構造も、個々の言語や方言によって異なる。 (注 「音節構造」)


「音素」は意味弁別に機能する音の最小単位

  

   さて、当該言語(方言)の「音の元素」である 「音素」(phoneme)は、「意味弁別」(意味の区別)という別の観点から、「当該言語(方言)に於いて意味弁別に機能する音の最小単位」とも定義される。
    
  例えば、日本語の「アカ(赤)」と「アキ(秋)」という単語は意味が違う。 
  しかし、この2つの単語の意味を区別しているのは/カ/と/キ/という「音節」の違いではなく、
        アカ:/aka/
        アキ:/aki/
/カ/と/キ/を構成している/a/と/i/という「母音音素」の違いである。

  また、「アカ(赤)」と「アサ(朝)」の意味を区別しているのは/カ/と/サ/という「音節」の違いではなく、
       アカ:/aka/
       アサ:/asa/
/カ/と/サ/を構成している/k/と/s/という子音音素の違いである。

  英語でも、「flash(閃光)」と「flesh(肉)」の意味を区別しているのは/a/と/e/という母音音素の違い、「flesh(肉)」と「fresh(新鮮な)」の意味を区別しているのは/l/と/r/という子音音素の違いである。

   このように、「意味弁別に機能する音の最小単位」というのは「当該言語において、その一つの音が変わるだけで言葉の意味が変わってしまう母音・子音の最小単位」ということである。

   各言語(方言)はそれぞれ独自基準の母音音素・子音音素を、独自基準で組み合わせることによって、数多くの言葉の意味を区別しているのであり、その全体系が当該言語の音韻体系(system of phonemes)ということになる。

 (さらに意味弁別に機能する第三の要素として、「アクセント」、即ち「音の高低」があるが、これは「超分節音素」(supra-segmental phoneme) として、音素の認定とは切り離して考えられる) (注:「アクセント」)

3)音素(phoneme)と異音(allophone)

   さて、各言語の音韻論に於ける音素(phoneme)の分類は、万国共通の音声学に於ける単音(phone)の分類よりもずっと大まかな分類である。
   そして、当該言語(方言)の音韻論に於ける音素の分類を、万国共通の音声学の細かな基準・外部基準に照らしてみると、当該言語(方言)では一つの音素(phoneme)として括られている音の範囲内に、複数の種類の異なる単音(phones)が含まれていることが多々ある。
  それらが「異音」(allophone)というものである。

 すなわち、
当該言語(方言)に於いて、同一音素の範囲内に包含される異なる単音が「異音(allophone)」である
 
  ここで注意が必要なのは、「allophone」という用語を漢字で「異音」と訳すことで、常識的な意味での「異音」というのは「変な音」「異常な音」のことであるから、当該音素の標準的発音から外れた文字通りの「非標準的な発音」(non-standard pronunciation)を異音(allophone)と混同する者が多いことである。
  例えば、江戸っ子が「ベランメエ」と啖呵を切るとき、/ラ/の音で舌がプルプル震える「トリル」という現象など。

  あくまで、当該音素の範囲内で異なる音が「異音」(allophone)であり、当該音素の範囲からはみ出した音は文字通り「非標準的発音」non-standard pronunciation)、或いは「訛音」であって、両者を混同しないこと! (「異音」と「訛音」 については後述)


異音(allophone)の持つ2つの性質

  「異音(allophone)とは当該言語(方言)に於いて、同一音素の範囲内に包含される異なる単音」という定義から、異音(allophone)の持つ2つの性質が演繹される。

①異音(allophone)は、当該言語(方言)の母語話者(ネイティブスピーカー)には聞き分けられない

  ・・・「音素」は当該言語(方言)の全ての発音を構成する音の最小単位であるから、その範囲内での音の違いである異音(allophone)は、母語話者には「同じ音」にしか聞こえない

  逆に言えば、
当該言語(方言)の母語話者が聞き分けられる音、別の音だと認識できる音は異音(allophone)ではない

  ・・・聞き分けられるということは、当該音素の範囲からはみ出しているということであり、当該音素からはみ出した音は、定義によって異音(allophone)であることから排除される。(似ているが聞き分けられる音は 「訛音」(non-standard pronunciationである)

②異音(allophone)は、当該言語(方言)では何時如何なる場合にも意味弁別には機能しない

  ・・・「音素」は当該言語(方言)に於ける意味弁別機能を持つ音の最小単位であるから、その範囲内の音の違いは意味弁別には機能しない

   逆に言えば、
その音の違いが当該言語(方言)の全体系のどこかで、意味弁別に機能していれば、それは異音(allophone)ではない

ということになる。

  即ち、当該言語(方言)の母語話者には聞き分けられず、当該言語(方言)に於いては意味弁別には一切機能しない音の違いが異音(allophone)である。

物理・化学に例えて言えば、
     音節(syllable)  : 分子(molecule)
     音素(phoneme) : 原子(atom)
     異音(allophone): 原子の同位体(isotope)
 のようなものだと思えばよい。

条件異音(conditional allophone)と自由異音(free allophone)

  さて、日常の会話を分析してしてみると、この母語話者には聞き分けられず、意味弁別に機能しない異音(allophone)が、 前後に接続する母音・子音・アクセントなどの「条件」に従って、規則的に発音し分けられていることがある。
  この、条件に従って規則的に現れる異音(allophone)が条件異音(conditional allophone)である。

   それに対し、規則性がなく、偶然に、ランダムに発音される異音(allophone)は自由異音(free allophone)と呼ばれる。(と言っても、自由異音が発されるのは、何らかの意味で語を強調する場合が多い)

  条件異音であれ、自由異音であれ、母語話者の耳には同じ音にしか聞こえないのが異音(allophone)であるから、母語話者同士であれば、自分や相手が異音を発音し分けていることには、言語学者でもない限り、死ぬまで気づかないのが普通である。

4)日本語に於ける「(条件)異音」の具体例

  などと、抽象的なことばかり言っていてもわからないと思うので、異音(allophone)とはどのようなものか、具体的な例を示そう。

  自由異音(free allophone)は、文字通り規則性がなく現れるものであり、例示が難しいので、まずは規則的に現れる条件異音(conditional allophone)とはどのようなものかを示す。

  これから示す例を、自らの口を使って発音実験してみれば、母語話者同士なら発音している当人も聞いている人も、死ぬまで気づかないのが異音(allophone)、ということが実感として解るはずである。

●撥音の/ン/
  日本語に於ける「条件異音」(conditional allophone)の例として、屡々取り上げられるのが撥音の/ン/である。(但し、/ン/は母音/アイウエオ/と同じく、「音素」であると同時に一つの「音節」でもある)

  まず、/ン/を発音する際の舌や唇の動きに注意しながら、「カンダ(神田)」「マンガ(漫画)」「コンニャク」「マンボ」という言葉を発音してみられたい。
   すると
  「カンダ」の/ン/:    [n]  舌先が前歯の裏に付く
  「マンガ」の/ン/:    [ŋ]   舌が空中に浮いたまま
  「マンボ」の/ン/:    [m]  唇が閉じている
  「コンニャク」の/ン/:  [ɲ]  舌が口の天井に張り付く 
という違いがわかるであろう。

  即ち、日本語の/ン/という「音素」(phoneme) には、音声学的に異なる [n][ŋ][ɲ][m]という4種類の単音(a phone)が包含されており、これらが/ン/という音素の異音(allophone)である。

また、同じ単語でも、後続する助詞によって
  「木村さんの」の/ン/:[n]
  「木村さんが」の/ン/:[ŋ]
  「木村さんも」の/ン/:[m]
  「木村さんに」の/ン/:[ɲ]
と発音される異音は異なる。
  しかし、どの異音を発音しても「木村さん」という言葉の意味が変わるわけではない。 
  これが「異音は意味弁別に機能しない」ということの意味である。

   これら音声学的に異なる [n][ŋ][ɲ][m]という一つ一つの単音(a phone)が、全体として日本語の/ン/という「音素」(a phoneme)を構成している異音群(allophones)である。
  従って、逆に異音(allophone)の側から「音素(phoneme)とは、当該言語(方言)に於いて『同じ音』として一括りにされる異音(allophone)の集合体」と定義することもできる。(注:相補分布)

また、これも自ら実験してみれば解るが、これら/ン/の四つの異音は
   [n]:ザ・タ・ダ・ナ(ニを除く)・ラ行音が後続する場合
   [ŋ] :母音、サ・カ・ガ・ハ行音が後続する場合
     /ン/で言い切りの場合
   [m]:パ・バ・マ行音が後続する場合
   [ɲ]:/ニャ/・/ニ/・/ニュ/・/ニョ/が後続する場合
という「条件」(condition)に従って規則的に発音しわけられる。

  このような、前後の接続する子音・母音・アクセント等の一定の条件に従って規則的に現れる異音が「条件異音」(conditional allophone)である。
   
  但し、「条件異音」(conditional allophone)という用語は、規則的に異音(allophone)が現れる現象を指すのではなく、「日本語の/ン/は[n][ŋ][ɲ][m]の4つの条件異音(conditional allophone)から構成されている」という風に、規則的に現れる個々の異音(allophone)を指す用語であることに注意されたい。(注:位置異音)
  
  また、/ン/はローマ字で/n/とすることが多いが、別に[n]が「正しい発音」で、[ŋ][m][ɲ]はその代替物というわけではなく、[n][ŋ][m][ɲ]は全て/ン/という音素の「正しい発音」「標準的な発音」なのである。

  ただ、通常は出現頻度が一番高い異音が当該音素を代表する単音だと見なされ、[n][ŋ][m][ɲ]の出現頻度は、順に4:3:2:1ぐらいの割合で、[n]が一番出現頻度が高いため、これが/ン/を代表する単音だとみなされるだけである。  

  いかがであろうか?
  これまで言語学に関心のなかった方は、自分が規則的に4種類の/ン/を発音し分けていることに気づいていただろうか?
  また、他人が発する4種類の/ン/を聞き分けていただろうか?

  「異音」(allophone)、即ち 「同一音素(phoneme)の範囲内に包含される異なる単音(phone)」とはこのようなものであり、母語話者は「同じ音」だとしか認識出来ず、言語学者でもない限り、これらが違う音だなどとは「死ぬまで気づかない」のである。


 他の例も示そう。

●ラ行子音/r/
  日本語のラ行音/ラリルレロ/の子音は、英語では/r/に近い子音だとされ、故に日本式ローマ字ではラ行子音は/r/で表記される。

  しかし、舌の動きに注意しながら「ラッキョウ」と「リッキョウ」という言葉を発音し比べてみられたい。

  すると/ラッキョウ/の方は、舌が歯茎の後ろの方(硬口蓋)に付くのに対し、/リッキョウ/の方は、舌が門歯の裏に付く、という違いがわかるはずである。

  次に/ラリルレロ/と発音してみられたい。
  すると、/ルレロ/は/ラ/と同じ子音であるのに、/リ/だけが別の子音だということがわかるだろう。

  そして、/ラルレロ/の子音は確かに英語の/r/に近いのだが、/リ/の子音だけは英語の/l/に近いのである。
  従って、「立教大学」はローマ字で「Rikkyo University」と表記しているが、英語のつもりなら「Likkyo」と書いた方が、日本語での発音に近くなる。

  日本人が英語を学ぶ際に、/r/と/l/の聞き分け苦しむのは、英語の/r/と/l/子音音素は、日本語では/r/という子音音素に包含される条件異音(conditional allophone)であり、日本人は両者とも発音していながら、同じ音としか認識しないからである。

  さらに、ラ行音に限らず、日本語のイ段音/キシチニヒミリ/の子音は他のア・ウ・エ・オ段音とは異なる子音である。

  なぜそうなるかと言えば、日本語の5つの母音/a/、/i/、/u/、/e/、/o/のうち、/i/だけが高母音(舌の位置が高い母音)であり、そのため舌先が他の母音よりも前に出る「中舌化」という現象が起こり、子音の調音点(音を調節する場所)も前にずれるためである。
  このことも、/アイウエオ/を自分で発音して実験してみればわかるはずである。

●/ザズゼゾ/の子音
   日本語のザ行子音(上の理由でイ段音/ジ/は除く)は摩擦音の[z]に近いとされ、ローマ字表記でも/z/が用いられる。
  しかし、/ザズゼゾ/の子音は、語頭に来ると[dz]という破擦音(破裂音と摩擦音の合成)になる。

  試しに、息の出方に注意しながらまず「ウゾウムゾウ(有象無象)」と発音し、次に「ゾウサン(象さん)」と発音してみられたい。

  すると、/ウゾウムゾウ/の/ゾ/の子音は確かに摩擦音の[z]であるが、これが語頭に来る/ゾウサン/の/ゾ/は、/ウゾウムゾウ/の場合よりも息が激しく出ており、[dz]という破擦音(破裂音と摩擦音の合成音)になっていることがわかるはずである。

  このことは「コウザ(高座)」と「ザブトン(座布団)」、「ショウズイ(祥瑞)」と「ズイショウ(瑞祥)」、「カゼイ(課税)」と「ゼイムショ(税務署)」など、いろいろ比較してみればわかる。

  尤も、この法則は絶対ではなく、言葉を強調したりすると語中・語尾の/ザズゼゾ/も自由異音として破擦音になることはたまにある。
  しかし、語頭の/ザズゼゾ/をただの摩擦音で発音することは意識的にやっても非常に難しいことがわかるであろう。

自由異音(free allophone)
   上の3つの例は、規則的に現れる条件異音(conditional allophone)の例であるが、このような規則性がなく、ランダムに発音される異音が「自由異音」である。
   但し、自由異音はランダムに発音されると言っても、殆どの場合、何らかの意味で語を強調する場合に発音される。

  例えば、次章でも述べるが、標準語話者(東京方言話者)は通常/アイウエオ/の/ウ/及び/U/母音を、左の写真のように平唇(IPAでは[ɯ])で発音し、関西方言話者は右の写真のように円唇(IPAでは[u])で発音する。(左の写真をクリック)
  (標準語と関西方言の/ウ/の発音の違いは、両方言の音韻体系の違いであって異音(allophone)ではない)
  しかし、標準語話者でも、ウ段音の単語を強調して発音する場合は右のように円唇で発音することがある。


平唇ウ 円唇ウ
標準語の/ウ/(平唇) 自由異音の/ウ/(円唇)
   例えば、4歳の娘を連れて「鵜飼い」を見に行き、次のような会話をしたとしよう。
娘:「ねえママ、あれ、なんて鳥?」
母:「あれが鵜よ」
娘:「えっ?」
母:「あれはね、『ウ』って鳥なの。『ウ』!」
娘:「あ、『ウ』って名前なの? 変な名前」

   このような際、標準語話者も、強調する/ウ/を円唇で発音することがある。([ɯ]よりも[u]の方が明瞭な/ウ/であるから)
   このようなものが「自由異音」(free allophoe)である。

  そして、この会話のように、語の強調によって発される「自由異音」は、聞き分けられなくても、発話者にも聞き手にも「語を強調している」という意識はあり、その際に口元に着目したりすると、聞き分けられなくても、普段とは異なる発音をしていることに「気づく」ということはあるだろう。

   但し、ここで注意が必要なのは、「自由異音」とはあくまで当該音素の標準的発音の範囲内で異なる音(母語話者が同じ音だとしか認識しない範囲内で異なる音)であり、後述するように、標準的発音からはみ出した音は「異音」(allophone)ではなく、文字通り「非標準的発音」(non-standard pronunciation)、略して「訛音」である(後述)

   例えば、江戸っ子が「ベランメェ!」と啖呵を切るとき、/ラ/の音で舌先がプルプル震える「トリル」という現象が起こるが、これは/ラ/の標準的発音からはみ出しており、発音者本人も聞いている人々もそれを認識しているのであって、これは「自由異音」ではなく「訛音」である。    

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5)「異音」を聞き分けられるのは言語的外国人だけ

「異音」(allophone)とはあくまで、「母語話者が同じ音だとしか認識しない範囲内で異なる音」であるから、別の音に聞こえたら、それは定義によって「異音」であることから排除され、「訛音」に分類されるのである。

   以上の実験から、「人は母語の異音(allophone)、特に条件異音は聞き分けられない」ということはお分かり頂けたであろう。
  
  ところが、時々母語話者(ネイティブスピーカー)が死ぬまで気づかない異音(allophone)を、瞬時に聞き分け、文字があればそれを書き分けることができる者がいる。
   それは「言語的な外国人」(異言語の母語話者)である。
   ネイティブスピーカーには聞き分けられないのが「allophone(異音)」であるから、それを聞き分けられる者がいるとすれば、ノンネイティブ(非母語話者)、即ち「言語的な外国人」に決まっており、これは「allophone(異音)」という概念の「定義上の自明の理」である。

   もちろんここで言う「言語的外国人」とは国籍や血統の問題ではなく、当該社会の言語とは別の言語(方言)を母語とする者のことである。 
   国籍・血統上は「日本人」でも日本語を話せず、他の言語を母語としていれば言語的外国人(海外には国籍上は「日本人」でも日本語を母語として話せない子供達はたくさんいる)、逆に国籍・血統上は外国人でも日本語を母語として話せれば日本人である(例えば、在日韓国人四世などは、国籍上は「韓国人」でも大半は日本語しか話せない)。

   音韻体系は言語(方言)によって異なり、A言語に於いては意味弁別に機能せず「同じ音素」の範囲に包含される異音(allophone)が、B言語に於いてはは意味弁別に機能する「別の音素」(other phoneme)である場合がある。
   この場合、B言語話者はA言語話者が全く無意識・無自覚に発音し分けている異音を聞き分け、文字があればそれを書き分けることができる。
   
   論より証拠、韓国語(朝鮮語)と日本語の例を見てみよう。
   上述の様に、日本語では、/カンダ/(神田)の[n]と、/マンガ/(漫画)の[ŋ]は、意味弁別機能を持たない異音(allophone)であるが、韓国語において//:[n]と//:[ŋ]は意味弁別に機能する「別の音素」である。

善美と成美
/선미/(善美)と/성미/(成美)    →の録音は韓国人女性によくある名前、/선미/(善美)と/성미/(成美)を交互に発音したものである。(写真をクリック!)
   日本人の耳には/ソンミ/という同じ言葉を連呼しているだけにしか聞こえないだろうが、韓国人は[n]と[ŋ]を意識的に発音し分けており、韓国人ならこれを聞き分けられるのである。

   故に韓国人は、日本語の/カンダ/と/マンガ/の/ン/が別の音であることを瞬時に聞き分け、ハングルで音写する場合、/カンダ/は/간다/、/マンガ/は/망가/(/ガ/が鼻濁音化していれば/방아/)と書き分ける。

   しかし、「韓国人は日本人が区別できない[n]と[ŋ]を聞き分けられるから偉い」というものではなく、逆のこともある。

   日本語の清音(無声子音)と濁音(有声子音)、/k/と/g/、/t/と/d/、/p/と/b/などは、意味弁別に機能する「別の音素」であるが、韓国語に於いては意味弁別に機能しない同一音素の範囲内の異音(allophone)である。(写真をクリック!)

キムチ・ムルギムチ
キムチとムルギムチ

   最初は誰でも知っている韓国の漬け物「キムチ」(김치)と「水キムチ」(물김치「물」は「水」を意味する)の発音である。
   /김치/は日本人が聞けば/キムチ/と清音で発音されているのに対し、/물김치/の方は/ムルギムチ/と濁音に聞こえるであろう。
実際、韓国料理紹介の本などでは「ムルムチ」と濁音で表記されている。

   しかし、韓国語では濁音(有声子音)の[g]は、母音や有声子音に後続する場合に現れる//(無気の/k/音)の条件異音(conditional allophone)であって、韓国人には[k]と[g]が「別の音」だという意識がない。
   故に韓国人は日本語の「金さん」と「銀さん」、「近郊」と「銀行」は同じ音にしか聞こえず、区別できないのである。

   こういう現象を初めて見る人は、「韓国人はキムチとムルギムチでちゃんと清音と濁音を発音し分けているのに、何で金さんと銀さんが聞き分けられないの?」と思うだろうが、韓国人の頭の中には[k]と[g]が「別の音」だという基準がインストールされていないのである。
  故に日本語を学ぶ韓国人は、語頭の清音と濁音の聞き分けに非常に苦労する。

  逆に韓国人は「あなたがた日本人は、カンダとマンガでちゃんと[n]と[ŋ]を発音し分けているのに、何で선미と성미が聞き分けられないの?」と言うだろうが、我々日本人の頭の中には[n]と[ŋ]が別の音だという基準がインストールされていないのである。 
   故に韓国語を学ぶ日本人は[n]と[ŋ]音の聞き分けに非常に苦しむ。

 「人は母語の異音を聞き分けられない」は生物学的法則

  いかがであろうか?
  ↑のビデオを見るだけで、「人は母語の異音は聞き分けられない」「異音を聞き分けられる者がいるとすれば言語的外国人だけ」ということがおわかり頂けたであろう。
  これは「同一音素の範囲内で異なる音」という「異音」(allophone)概念の「定義上の自明の理」であるばかりでなく、「生物学的な法則」なのである。

  人間は身体・知能に欠陥がない限り、学校など行かなくても、2歳ぐらいからに周囲で話されている言語の音韻規則、文法規則などが自然に脳内にインストールされてゆき、4歳ぐらいになるとそれに従って言語を運用できるようになり、その刷り込み(in-printing)は10歳前後まで続く。
  
  この期間を「言語形成期」(発達心理学では「臨界期」)というが、言語形成期の子供の脳は非常に柔軟であり、この期間に複数の言語を耳にし、運用する環境に置かれれば、2言語でも3言語でも4言語でも母語として話せる様になる。
  また一旦インストールされた言語を消去して別の言語に置き換えることも可能である。
  例えば、日本語を話していた言語形成期の子供を、アメリカ人の家庭に預け、英語しか使わない環境に置けば、半年も経つと日本語を忘れてしまう。しかし、その子をまた日本に連れ戻せば、すぐに日本語を覚え直すが、英語はすぐに忘れてしまう。
   
  しかし、10~12歳の思春期を迎える頃から、この脳の柔軟性は急激に衰え、それまでに脳内に刷り込まれた言語規則はそのまま固まってしまい、以後年齢を重ねれば重ねるほど新しい言語規則を脳内に刷り込むことは困難になる。
  
   言語形成期を過ぎてしまうと特に困難なのが、新しい音韻規則を刷り込むことである。

   言語形成期を単一言語(方言)環境で過ごした者の脳内には、当該言語(方言)の音韻規則、即ち「言葉の意味を区別するためには、どの音とどの音を区別し、どの音とどの音は区別しないでよいか」という基準が刷り込まれて固まってしまい、一生それに縛られる。
  大人になって東京へ出てきてもどうしても方言訛りが直らない、英会話を一生懸命練習して会話そのものには困らなくても、発音と聞き取りだけはネイティブと同じというわけにはいかない、という現象が起こるのはそのためである。

   従って、言語形成期を過ぎてしまった者は、母語の音韻規則で同じ音とされている範囲内の異音(allophone)などは気づきもしないし、例え外国人や言語学者に指摘されて気づいたとしても、 聞き分けられるようにはならない。
   また、当該言語環境だけで生活するなら、意味弁別に機能しない異音(allophone)など聞き分ける必要など全くない。

  言語学者ならぬ普通の市民が「異音」(allophone)を聞き分ける訓練をする必要があるのは、音韻体系の異なる方言環境、外国語環境での生活を強いられる場合だけである。

「異音」を書き分ける表記体系は外国人が作った   

   このように、「人は母語の異音(allophone)は聞き分けられない」「異音(allophone)を聞き分けられる者がいるとすれば言語的な外国人だけ」という命題は、定義上の自明の理であり、生物学的法則なのである。

   従って、「ある時代、ある言語の異音(allophone)が文字で書き分けられていたら、それを記述したのは(少なくともその表記体系を作ったのは)言語的外国人だった」ということになる。
   即ち、「異音(allophone)説を唱えることと、外国人記述説を唱えることは表裏一体」なのである。

   「そんなこと初めて聞いた。言語学の大家の○○大先生も、国語学の大家の××大先生もそんなことはおっしゃっていない」と言うかも知れないが、それはその「大先生方」が異音(allophone)という概念をマトモに理解していないだけの話である。

例外的に見える三つの現象
  「異音(allophone)を聞き分け、書き分けられるのは言語的外国人だけ」と言うと、必ず「いやいや、そんなことないでしょ? 例えば・・・」とヘリクツを言って反論してくる人間が必ずいる。
  そういう人間が挙げるのは以下のような三つの現象である。
  しかし、これらは例外のように見えるが、例外ではない。

①音韻体系の異なる「方言」は外国語と同じ
   同じ言語、同じ日本語と言っても、音韻体系の異なる「方言」は、音声学的に言えば外国語と同じであり、東京方言話者が東北方言や琉球方言話者が無意識に発音仕分けている異音(allophone)を聞き分け、書き分けられたからといって、それは母語の異音を聞き分けていることにはならない。
   一面で似ているが一面で異なる複数の言語体系を「方言差」とするか「別の言語」とするかは、言語体系だけの問題ではなく歴史的・政治的な様々な基準があり、一概には言えないが、音声学的基準は明白、「音韻体系が異なる言語体系は別の言語」なのである。

②当該の人間が複数の母語を持っている場合
   当該の人間が、複数の母語(第一言語)を持っている「真性の多重言語話者」である場合は、一方の母語の音韻感覚で、もう一つの母語の異音を聞き分け、書き分けることが可能である。
   そして、結論から言えば、上代特殊仮名遣いの場合、特に『古事記』や『万葉集』の編纂の主力だったのは、日本育ちで日朝バイリンガルの白村江帰化人二世達だったと考えられる。
   但し、それはあくまで言語形成期に多重言語環境で過ごし、複数の言語を「ネイティブ」(第一言語)として話せる場合だけであり、言語形成期を過ぎてから学習によって第二言語を習得した「日本語の上手い外国人」「外国語の上手い日本人」程度では不可能である。

③外国人が作った表記体系が無批判に踏襲されている場合
   当該言語の表記体系を作ったのが外国人であり、現地人がそれを無批判に踏襲している場合、当該の外国人には聞き分けられても自らは聞き分けられない異音(allophone)をせっせと文字で書き分けている、ということはあり得るし、アジアやアフリカの言語(例えばベトナム語)などでは実際にある。
   しかし、「上代特殊仮名遣い」の場合はこれには当てはまらない。なぜなら、日朝バイリンガルだったと思われる白村江帰化人二世達が死に絶える頃から、上代特殊仮名遣いは急速に崩壊してゆくからである。

6)「異音」「条件異音」概念の典型的な誤解

  これまでの説明で、「人は母語の異音(allophone)は聞き分けられない」 「異音(allophone)を聞き分けられる者がいるとすれば言語的外国人だけ」 という命題は、異音(allophone)という概念の定義上の自明の理であり、また生物学的法則だということはお分かりになったはずである。

  ところが、現実には、音声学を真面目に勉強し、このことをマトモに理解している言語研究者は極めて少数、大半は「異音」「条件異音」という和訳語のイメージから、他の音声・音韻現象を異音(allophone)と混同している。

その典型的な誤解が
①「異音」と「訛音」(非標準的発音)の混同
②「条件異音」と「条件的変異音」の混同
である。

①異音(allophone)と訛音(non-standard pronunciation) の混同

  まず第一の典型的な誤解が、当該音素の範囲内での音の違いである「異音」(allophone)と、当該音素の範囲からはみ出した「非標準的発音」、略して「訛音」(non-standard pronunciation)の混同である。

「非標準的発音」訛音」(non-standard pronunciation)とは
・ あくび・くしゃみ・しゃっくり・鼻づまり・歯抜けなどの生理的理由によって生じる変な発音
・ 発音が固まっていない幼児の/オチュキチャマ/といった発音(幼児喃語)
・ 外国人が話す外国語訛りの変な発音
・江戸っ子が「ベランメェ」と言う際に/ラ/の舌先がプルプル震える
・江戸っ子が「帰る」を/ケエル/、「大工」を/デエク/のように発音する
・マンガによくあるように、ふざけて/バカ/を/ブヮーカ/と発音する

といった、文字通り「非標準的な発音」「変な発音」のことである。

  これらの音が「変な音」であることは、当該言語の音韻体系を正しく内在化している者なら瞬時に気づくのであり、変な発音だと気づくということは、当該音素・音節からははみ出しているいうことである。
  同一音素の範囲内で異なる音=母語話者の耳には同じ音にしか聞こえない音が異音(allophone)なのであるから、そこからはみ出した「変な音」は異音ではない。   

各種の/バ/
各種の/バ/
   例えば、「バカ」という言葉を憎しみを込めて「バッカじゃない!」などと言う時は、子音の/b/が有気化(激しく息が出る)して[bh]という有気有声音になる(IPAの小さいhは有気音を表す)。
  この有気化した/b/は確かに「自由異音」である。

  但し、/バッカ/の/バッ/という音節自体は、/バ/に/ッ/という特殊音素が加わった「別の音節」に変化しているのであって、「異音」ではく「訛音」である。
  /バーカ/、/ブヮカ/、/ヴァカ/なども同様。
  日本人なら/バカ/と/バーカ/・/ブヮカ/・/ヴァカ/などはちゃんと聞き分けられ、発音しわけられ、なによりカタカナで書き分けられるということは「同じ音」だと思っていない証拠。

  さらに、これら/バーカ/・/ブヮカ/・/ヴァカ/、幼児の/オチュキチャマ/(お月様)、江戸っ子の/ケエル/(帰る)、/デエク/(大工)等、文字で書き分けられるぐらいに標準的発音からはみ出した音は、常識的にいえば「非標準的発音」であるが、音声学的に言えばもはや「非標準的発音」の範囲からもはみ出して、別の音素・音節に変化しているのである。

   従って、「non-standard pronunciation」という概念は、常識的に用いる場合は「非標準的発音」、音声学の専門的概念として用いる場合には「訛音」 と訳し分けた方が良いであろう。
   そして、この意味での「訛音」を厳密に定義すれば「当該音素の標準的発音の範囲からはみ出しているが、文字で書き分けられない範囲内に止まっている音」ということになるだろう。
  例えば、江戸っ子の/ベランメー/の/ラ/のトリル現象の様なものがこれに該当する。
  (また、このように定義してみると、実際に「訛音」の範囲に止まっている現象は少なく、このことが「自由異音」と「訛音」の混同を生む一因だとも言える)

異音と訛音の境界領域

  但し、異音(allophone)と訛音(non-standard pronunciation)の境界は明確ではなく、「この音は同一音素の範囲内の異音と判断すべきか、そこからはみ出した訛音と判断すべきか」で迷うグレーゾーンがあることも確かである。
異音と訛音
音素(phoneme)と異音(allophone)
訛音(non-standard pronunciation)

  一例を挙げれば、日本語の「ガ行鼻濁音」がそうである。

  まず、/マンガン/(鉱物の「マンガン」)という言葉を発音してみられたい。
  すると、多くの人は、/ガ/が先行する/ン/の[ŋ]音に引きずられて、/g/を発音する際に息が鼻に抜け、条件異音として[ŋa]になるが、これが鼻濁音と呼ばれるものである。

  この鼻濁音の[ŋa][ŋi][ŋu][ŋe][ŋo]と、ただの濁音の[ga][gi][gu」[ge][go]と違いは古くから気づかれており、一部上流階級の人々や声楽家などは、鼻濁音の方が「上品」だとして、訓練して意識的に発音している。
   しかし、その人達が苦労して鼻濁音を発音しても、聞いている人々の中にはそれに気づく人と気づかない人がいる。
  故に、これは「異音」とみなすべきか、「訛音」とみなすべきか微妙なところである。
  但し、ただのガ行音とガ行鼻濁音の違いは、いつ如何なる場合にも意味弁別には機能しないので、これは「別の音素」ではない。
  上の「バカ」の例でも、どこまでが自由異音で、どこからが訛音かという厳密な線引きは難しい。

訛音まで含めて異音(allophone)と定義することもある
  「意味弁別」という観点から、音素・訛音・異音を定義すると

別の音素 (other phoneme):
  母語話者が聞き分けられ、意味弁別に機能する音の違い

訛音 (non-standard pronunciation):
  母語話者にも聞き分けられるが、意味弁別には機能しない
  音の違い

異音 (allophone):
  母語話者には聞き分けられず、意味弁別にも機能しない音の  違い
ということになる。

  日本語を含め、世界中の大半の言語は、母音でも子音でも、境界領域の問題はあっても異音・訛音・音素を一応を区別することができる。

  ところが、母音の場合、英語やフランス語のように、隣接する音素と音素の間に隙間がなく、曖昧母音や二重母音を多用する言語がある。
  英語は16種(14種とか19種という説もある)、フランス語は15種の母音が意味弁別に機能していると言われているが、それは言語学者が数えた場合の話で、普通のアメリカ人やフランス人に「日本語の/アイウエオ/のように、その15~16種類の母音を発音して聞かせてくれ」と言っても誰もできない。

  このような曖昧母音や二重母音を多用する言語では、母音に於いて異音と訛音を截然と区別することは実際には不可能なため、これらの言語の音韻体系を論じる場合は、「意味弁別に機能しない」という観点だけで、訛音(の一部)をも含めて「異音」と定義することがある。
 (また、英語やフランス語のような言語に「音素」という概念をあてはめてよいかという議論もある。)

   ただし、英語やフランス語のような曖昧母音や二重母音を多用する言語は世界的には少数派であり、大多数の言語は日本語と同じく、異音・訛音・別の音素は区別できるのであり、このような定義を持ち出して反論しても無駄である。

② 条件異音(conditional allophone)と
  条件(的)変異音(phonemic conditional variant)の混同


   さらに典型的な誤解が、条件異音(conditional allophone)の「条件」(conditional) という修飾語に目を奪われて、肝心の異音(allophone)という概念を忘れ(というよりも、最初から理解しておらず)、「前後に接続する子音・母音・アクセントなどの条件によって生じる、意味の変化を伴わない「音韻論的な条件的変異音」(phonemic conditional variant)を条件異音(conditional allophone)と混同することである。

  「音韻論的な条件的変異音」というのは、日本語では以下のようなおなじみの現象である。
  「ヒ+カサ→ヒガサ(日傘)」(連濁)
  「テン+オウ→テンノウ(天皇)」(連声)
  「シロ+カワ→シラカワ(白川)」(母音交替)
  「アオ+ウメ→オウメ(青梅)」(母音融合)
  これらのように、発音上の便から、意味の変化を伴わず、音だけが他の音素・音節に変化したものが「音韻論的な条件(的)変異音」である。 (英語では phonemic conditional variantであり、「条件変異音」と言っても構わないが、慣習的に「的」をつけることが多い)

   これらは音が変わっても言葉の意味は変わっていないが、変化した後の音は、元の音とは別の音素・別の音節であり、話者自身も聞き手もこの音の変化は聞き分けられ、自覚しているのであって、これらは「条件異音」(conditional allophone)ではない。

  「異音(allophone)は意味弁別に機能しない」というのは、当該言語(方言)の全体系に於いて、何時如何なる場合にも意味弁別に機能しない、という意味
である。
  /カ/(蚊)と/ガ/(蛾)、/オウ/(王)と/ノウ/(脳)は別の意味なのでありその音の違いが当該言語(方言)のどこかで意味弁別に機能していれば、それは異音(allophone)ではない。
 
   このような、意味の変化を伴わない別の音素・音節への条件的変異現象はどんな言語にもある。

  例えば、英語では、可算名詞の複数を表す/s/は本来無声子音であり、/Tigers/では確かに[s]と発音されるが、/Dragons/では[z]と有声で発音され、/Giants/では直前の/t/音と結びついて[ts]と発音される。

  フランス語では、「C'est la ~」/セラ/ のように普通は発音されない語末の子音が、後ろに母音が来るとそれと融合して「C'est une ~」/セチュヌ/ のように復活して発音される「リエゾン」などの現象がある。

  ドイツ語では、本来は有声音である/d/音が、「Abend(晩)」のように、語末に来ると、/アーベンt/のように、事実上無声の/t/で発音されるといった現象がある。

  韓国語(朝鮮語)では、「~できない」を意味する「못하다」/モッハダ
/という言葉が、事実上/モッタダ/の様に発音される現象がある。

   しかし、どんな言語であれ、話者自身が自覚している音韻論的な条件的変異音は異音(allophone)ではない。

  なお、話者自身が自覚している他の音素・音節への変化が、文字表記の変化に反映されるかどうかは、各国の政府・文部省が定める正書法の問題である。

  例えば、日本語の助詞「は」は/wa/、「へ」は/e/と発音されるのに表記の変化はないのに対し、「ホン(本)+タナ(棚)」は「ホンダナ」、「テン(天)+オウ(皇)」は「テンノウ」と発音通りに表記される。これは文部科学省・国語審議会がそう決めているからであり、多くの国語で発音と表記のズレは見いだせる。

条件異音(conditional allophone)も
        条件的変異音(conditional variant)の一種


  但し、「条件異音」(conditional allophone)と「条件的変異音」(conditional variant)は別物だと言ってしまうと語弊があり、「条件異音」もまた「条件的変異音」の一種なのである。
条件異音と条件的変異音
条件異音と条件的変異音


  前述のように、条件異音(conditional allophone)という言葉は、条件的に現れる個々の「異音」を指す言葉であって、条件によって様々な異音が現れる現象を指すのではない。

  条件によって様々な「異音」が現れる現象は、やはり「条件的変異(現象)」(conditional variation)なのであり、その現象の結果現れる「条件異音」もまた「条件的変異音」(conditional variant)なのである。
 
キムチ・ムルギムチ
キムチとムルギムチ
   例えば、前掲の朝鮮語の「キムチ」と「ムルギムチ(水キムチ)」の例は、純粋音声学的には、日本語の「連濁」という現象と全く同じメカニズムで起こる現象であり、「キムチ」が日本語であったとしても、「水キムチ」はやはり連濁して「ムルギムチ」になるだろう。
   日本語と朝鮮語で異なるのは、日本語話者は/キ/が/ギ/に変化したことをちゃんと自覚しているのに対し、朝鮮語話者には音が変化しているという自覚が全くないことである。

話者自身に自覚のない条件的変異音が条件異音(conditional allophone)なのである。

   問題なのは、条件的変異音から条件異音(conditional allophone)を差し引いた残余の部分、即ち「話者自身に自覚のある条件的変異音」である連濁・連声・母音交替・リエゾン等には、一つ一つの現象には名前が付いているが、それらを総称する適切な用語がなく、「音韻論的な条件的変異音」(音韻的な変化は同時に音声的な変化でもあるから、これも厳密には適切でない)、「話者自身に自覚のある条件的変異音」とかなどと言ういうしかないことであり、それが条件的変異音と条件異音(conditional allophone)の混同を生む大きな原因となっている。   

   などというと、難しく聞こえるかも知れないが、「異音」(allophone)の概念は明白、「母語話者の耳には同じ音にしか聞こえない範囲で異なる音」のことである。
   このことさえ解っていれば、連濁・連声・母音交替などによる「自覚のある条件的変異音」と「自覚のない条件異音」を混同することなどあり得ない。











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日本語の母音

日本語母音図   現代日本語の母音が/a/・/i/・/u/・/e/・/o/の五つであることは誰でも知っていることだが、標準語(東京方言)の標準的母音は万国共通の基準に基づく音声学的な基準では次のように定義されており、これを基本母音図に位置づけると右の図のようになる。

/a/:[a]  円唇 奥舌 広母音
/i/:[i ]  非円唇 前舌 狭母音
/u/:[ɯ]  非円唇 奥舌 狭母音
/e/:[e]  非円唇 前舌 中母音
/o/:[o]  円唇 奥舌 中母音
(広母音・中母音・狭母音というのは、口の開きの広狭)

ア母音 イ母音
/ア/ /イ/
ウ母音 エ母音
/ウ/ /エ/
オ母音  
/オ/  

  但し、これらははあくまで標準語(東京方言)のさらに標準的な発音がそうだというだけである。
  各母音にはそれぞれかなり広い許容範囲があり、細かく分析していけば実に様々な「異音」(allophone)が発音されているのだが、その許容範囲内のわずかな発音の違いなど当の本人も、周りで聞いている人も気づかない。


標準語の/U/と関西方言の/U/

  ここで知っておいてもらわなければならない重要なことは、先にも少し述べたが、日本語の/U/母音は標準語(東京方言)と、広義の関西方言(近畿・中国・四国)では発音が異なるということである。
  標準語では唇が横に広がった平唇の[ɯ]が用いられるのに対し、広義の関西方言では円唇の[u]が発音される。 (ただ、若い世代は子供の頃からテレビで標準語を聞いて育っているため、関西人でも平唇の[ɯ]を発音する者が増えている)
  ↓の写真をクリックして、標準語と関西方言での/ウ/の発音、及び「海」/ウミ/、「歌」/ウタ/の発音を確認されたい。

標準語ウ 関西方言ウ
標準語の/ウ/ 平唇の[ɯ] 関西方言の/ウ/ 円唇の[u]

 では、万葉時代の/U/母音の発音はどうであったかというと、万葉時代の中央語は関西方言であり、借音仮名の分析から当時の関西方言でも円唇の[u]であったことが確かめられている。
  もちろん、奈良時代でも方言差はあったはずであるが、有坂氏は「有坂三法則」の考察に当たっては、当時の東国方言を音写したとみられる万葉集の「東歌」「防人歌」は考察の対象から外し、当時の中央語(関西方言)に絞っている。
  そして、当時の中央語の/U/が、関西方言の円唇の[u]であったことは、上代特殊仮名遣いオ段甲乙書き分け法則の分析で非常に重要な意味を持つ。
    (有坂秀世氏が、「有坂三法則」という重大な発見をしながら、その正体に気づかなかったのは、有坂氏自身は平唇の[ɯ]を発音する標準語話者だったためである。)

現代日本語の2つの/O/母音

  さて、現代日本人(特に関西方言話者)は上代オ段甲乙書き分け法則と全く同じ法則に基づいて、2種類の/O/母音を条件異音(conditional allophone)として発音し分けている、ということは次章で詳しく述べるが、現代日本人も2つの/O/母音を発音し分けているという事実は、実に簡単な実験で確かめられる。

  ↓は日本人女性によくある名前「サチコ」と「サトコ」の発音実験である。(写真をクリック)  

サチコ サトコ
/サチコ/の/コ/ 平唇の[kɔ] /サトコ/の/コ/ 円唇の[ko]

  見てのとおり、/サチコ/の/コ/は唇が開くのに対し、/サトコ/の/コ/は唇がすぼまる。
   
 読者も鏡を見ながら、自ら同じように実験してみられたい。
 (但し、標準語のHLLアクセントで発音すること。北九州の方言などの語尾上げLLHアクセントでは結果が変わる)

   すると、筆者説を認めたがらない者の中には、/サチコ/の/コ/をわざと円唇化させて「サチコもサトコも変わらない」とヘリクツを言う者がいるが、それならば、ビデオで行っているように「サチコ、サチコ、サチコ・・・」「サトコ、サトコ、サトコ・・・」と早口で繰り返してみればよい。 /サチコ/の/コ/は何度も繰り返しているうちに唇が緩んでくるが、/サトコ/の/コ/は何度繰り返しても唇は緩まない。
   そして、日常の発音を振り返れば、誰も/サチコ/の/コ/を、きっちり唇を丸めて発音してはいない、ということが解るであろう。
   
  結論から言えば、/サトコ/に現れる唇のすぼまった/O/母音が上代の甲類/O/母音、/サチコ/に現れる唇の開いた/O/母音が上代の乙類/O/母音である。
   こうなる理由は、/サトコ/の/コ/には有坂第三法則と有坂第一法則、筆者が発見したアクセント法則、及び/t/子音は唇の開きが狭いという4つの法則が効いているのに対し、/サチコ/の/コ/にはこれらの法則が作用しないからである。
 (このことの意味は次章を読めば解る)

   いずれにせよ、この実験だけで、現代日本人が2種類の/O/母音を、無意識のうちに条件異音(conditional allophone)として無意識に発音し分けていることはおわかりになったであろう。
  そして、/サトコ/、/サチコ/で異なる母音が現れる法則は、上代特殊仮名遣いのオ段甲乙書き分け法則と完全に一致しているのである。

朝鮮語の2つの/O/母音

  さて、これまで長年日本語を話してきていながら、「サチコ」と「サトコ」の/コ/が別の音だと気づいていた方がいるだろうか?(この条件異音は筆者が発見したもので、日本語音声学の教科書にも出ていない)

  このように、同一言語(方言)の母語話者なら、皆同じように規則的に発音し分けていながら、そのことには死ぬまで気づかないのが条件異音(conditional allophone)というもの。

  ところが『記紀万葉』に於いては、この2種類の/O/母音が借音仮名で見事に書き分けられていたのであり、「サチコ」と「サトコの/コ/が別の音であることを筆者に教えてくれたのは、奈良時代の「史」達なのである。
  そして、母語話者に聞き分けられない条件異音を聞き分けていたこの「史」たちは言語的には日本人ではあり得ない。
  では、「日本人でないなら何人か?」と言えば、『記紀万葉』作成当時に日本に大量にいた「言語的外国人」とは、663年の白村江敗戦により日本に亡命してきた百済人一世・二世としか考えられないことは、第ニ章で述べたとおり。

第七章で詳しく述べるが、当時の百済語がどんな言語であったかは、資料が皆無に等しく、「わからない」と言うしかない。
  しかし、その百済の故地である朝鮮半島では、現在「朝鮮語(韓国語)」という言語が話されており、その朝鮮語には8種類の母音があり、就中、日本人には判別困難(というより判別不能)の/오/と/어/という2種類の/O/母音が存在する。

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などと言っても、朝鮮語を聞いたことがない人間には実感としてわからないだろうから、実際の発音をお聞かせしよう。


   
異音A 異音B
日本語/O/甲類 日本語/O/乙類
朝鮮甲類 朝鮮乙類
朝鮮語/오/ 朝鮮語/어

  これは、朝鮮語の「오른」(右)と「어른」(大人)、「오리」(あひる)と「어리」(鳥かご)、「소리」(声)と「서리(霜)、「놓다」(置く)と「넣다」(入れる)という単語対を、それぞれ交互に二回ずつ発音したものである。
  これらを目をつぶって聞き分けられる日本人がいるだろうか?
   しかし、韓国人(朝鮮人)はこの2つの母音を目をつぶっても聞き分けられるのである。

  そして、600年代後半から700年代前半の万葉時代には、この人たちの先祖と同じ言語を話す人々が日本列島に大量に存在したのである。

注:三つの音声学
   「音声」とは、最広義には人間が口から発する言語音だけでなく、動物の鳴き声や楽器の音、騒音や雑音など、この世にあるあらゆる音sound(s)全てを指す。
  これら、人間の言語音を含め、あらゆる音声を研究対象にするのが「音響音声学」(acoustic phonetics)と言われる分野であり、主としてオーディオ技術者などの工学系の人間が研究している。

  中義に「音声」といえば、人間の口腔を中心に発せられる音全てを指すが、これには言語音だけでなく、あくび、しゃっくり、いびき、舌打ち等の非言語音も含まれる。
  これら、人間が口腔を中心に発する音の発音の仕組みや、逆に人間が脳のどのような部分で言語音と非言語音を区別するか、といった研究をするのが「生理音声学」(physiological phonetics)と言われる分野であり、主として耳鼻科の医者や大脳生理学者などが研究している。

 言語学でいう狭義の「音声」とは、人間が口腔を中心に発する音のうち、世界中のどこかの言語で意味伝達のために用いられている音だけを指し、それを研究するのが「調音音声学」(articulatory ponetics)である、

   言語研究者が単に「音声学」という場合はこの「調音音声学」を指すので、ここでもその意味で用いる。
(但し、調音音声学は、生理言語学、音響音声学とも密接に関連しており、厳密な境界線は引けない)

注:母音・子音・半母音

母音(vowel):声帯が振動して発する音 ・・・要するに声(voice)が母   音である。
子音(consonant): 口腔を中心に発せられる「声」以外の音。
   息が気道を通過して口や鼻から放出される際に、通路を狭められたり、封鎖されたり、封鎖が解除されたりする際に発する音

子音は、さらに無声子音と有声子音に分類される。
無声子音(voiceless-consonant):
   
母音(声)を伴わずに音が出る子音
   [p]、[t]、[h]、[k]、[f]、[s]など・・・・ 破裂音・摩擦音の類
   日本語ではカ行音、サ行音、タ行音、ハ行音、パ行音
有声子音(voiced-consonant):
   母音(声)と同時に発音しなければ音にならない子音
   [m]、[n]、[b]、[l]、[r]、[d]、[g]、[z]など
   日本語ではナ行音、マ行音、ラ行音
   及び/ガギグゲゴ/・/バビブベボ/などの「濁音」
自分で実験してみればわかるが、ナ・マ・ラ行音は、声(母音)と共に発しなければ音にならない。
   また、/ガキグゲゴ/は声を出さないと/カキクケコ/になってしまう。
   日本語でいう「清音」は、音声学的には「無声音」(voiceless-sound) 「濁音」は「有声音」(voiced-sound)という。
半母音(semivowel、glide-sound):
    母音(声)を発しながら、口内の形状を変えることで発される [y]、[w]などの音は、母音と子音の中間として「半母音」と呼ばれ、音節の頭に来れば子音、音節中では母音の役割をはたす。
   日本語では/ヤ/・/ユ/・/ヨ/・/ワ/ ・・・・子音として扱われる
   及び/キャ/・/キュ/・/キョ/などの「拗音」・・・・母音として扱われる
 
   世界中の言語は、母音・子音・半母音などを独自の基準で分類し、また独自の基準でそれらを組み合わせ、言語の意味伝達に用いているのである。 その独自の基準が当該言語の「音韻体系」である。

注:音節構造
  
  音節は、原則として、最低一個の母音音素とその前後に接続する子音音素から構成される。
  従って、日本語の/ア/・/イ/・/ウ/・/エ/・/オ/のように、母音だけの音節はあるが、子音だけの音節というのは日本語を含め大半の言語には存在しない。
  *しかし、アフリカの一部の言語にはクリック(吸着音-舌打ちのような音)といって、母音を伴わない子音だけの音節もあるので絶対とは言えない。日本語でも、琉球の一部の方言には子音だけの音節があるそうである。

  また、音節の構造は言語によって異なる。日本語のように
          (子音)+母音
  で1音節となる言語と、英語・中国語・朝鮮語などのように
          (子音)+母音+(子音)
  で1音節とする言語がある。

  例えば、英語の/pen/は1音節だが、日本語の/ペン/は2音節、、英語の/pencil/は2音節だが、日本語の/ペンシル/は4音節である。

  日本語のように、音節が母音で終わる言語を「開音節」(open syllable)言語、英語・中国語・朝鮮語などのように子音で終わる言語を「閉音節」(closed syllable)言語という。
(但し、閉音節言語にも母音で終わる音節はある)

 注:アクセント

母音音素、子音音素の他に、日本語では意味弁別に機能するもう一つの要素として、音の高低、即ちアクセントがある。
    「アカ(赤)」と「アカ(垢)」は音素に分解すると
       アカ(赤):/aka/
       アカ(垢):/aka/
で全く同じであるが、この二つの言葉を区別できるのは、
標準語の場合、アクセントが
       アカ(赤):HL
       アカ(垢):LH     (HはHighで高音、Lはlowで低音)
となるからである。
(関西方言の場合、これが全く逆になるのでややこしいが)

  世界中の言語はアクセントが意味弁別に機能する言語としない言語があり、日本語・中国語など、アクセントが意味弁別に機能する言語は音調言語(tone-language)、朝鮮語・英語など、アクセントが意味弁別機能を持たない言語を非音調言語(non-tone language)という。
   但し、アクセントは「超分節音素」(supra-segmental phoneme)と呼ばれ、音素の認定とは切り離される。
   即ち、「アカ(赤)」と「アカ(垢)」、音素・音節としては同じ、この二つの言葉の意味弁別に機能するのは第三の要素であるアクセント、と解するのである。


注:相補分布

  この日本語の/ン/の様に、条件異音(conditional allophone)は、音素XがA条件に置かれた時には必ず「異音A」、B条件に置かれた時には必ず「異音B」、C条件に置かれた時は必ず「異音C」が発音されるという性質をもっている。
   これを条件異音(conditional allophone)の「相補分布性」(Complementary distribution)といい、「音素X」はA・B・Cの3つの条件異音で構成される集合体だということもできる。
   但し、言語学の教科書では、この「条件異音の相補分布性」が強調されすぎている嫌いがあり、「相補分布しているかどうかが異音(allophone)であるかないかの判断基準」などと勘違いしている者が多数いる。
   しかし、相補分布しているかどうかは、ランダムに現れる 自由異音(free allophone) か、規則的に現れる条件異音(conditional allophone)かの判断基準であって異音(allophone)か別の音素(phoneme)かの判断基準ではない。

注:子音/ch/、/ts/、/f/
  日本語版ウィキペディア「条件異音」の項に於いて、執筆者は、日本語のハ行音に付いて

[h] は母音 /a, e, o/ の直前において、[ç] は母音 /i/ の直前において、[ɸ] は母音 /u/に現れ
これらを条件異音(conditional allophone)だとしている。

   確かに、日本人はハ行音に於いて、/ハ・ヘ・ホ/と/ヒ/の子音の違いは全く意識しておらず、/ヒ/に現れる[ç]は条件異音(conditional allophone)だと言えるが、/フ/に現れる[ɸ] が他の/ハ・ヒ・ヘ・ホ/とは別の子音であることは日本人自身が自覚しており、これは異音(allophone)ではなく/f/という独立した音素(phoneme)である。
  またタ行の/チ/の子音/ch/、/ツ/の/ts/という子音もタ行子音/t/の異音(allophone)ではなく意味弁別に機能する独立した音素(phoneme)である。

  なぜなら、日本人は/チ/(血)と/ティー/(tea)、/ツ/(津)と/トゥー/(two)、/ホーク/(hawk)と/フォーク/(folk)は、聞き分けられ、発音し分けられ、カタカナで書き分けることも出来、意味弁別に機能しているからである。 ただ、日本固有語及び漢語には、これらの子音から構成される「音節」が/チ/・/ツ/・/フ/しかない、というだけのことである。
  「音節」はなくても「音素」があれば、それを組み合わせて外来語や擬音語などの音節は作れるのであり、日本人が上のような外来語の発音や聞き取りに苦労しないのは、これらが既存の音素の組み合わせで作れるからである。


注:位置異音(positional allophoen)
条件異音(conditional allophone)は、語頭に現れるか、語中・語尾に現れるか、さらに前後接続する子音・母音などとの位置関係によって、どの異音(allophone)が現れるか決まっているので、「位置異音(positional allophoen)」とも言う。 




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