まずは朝鮮語の音韻体系の分析から進めてゆく。
朝鮮語という言語の概要と歴史に付いては後半で述べる。
1.現代・中世朝鮮語の母音体系
ハングルの「母音字」と音韻論的な母音
現代朝鮮語(韓国語)には音韻論的に八種類の母音があるが、それは韓国語を学ぶ際に真っ先に覚えさせられるハングルの10種類の母音字「ㅏ、ㅑ、ㅓ、ㅕ、ㅗ、ㅛ、ㅜ、ㅠ、ㅡ 、ㅣ」のことではない。
注:これら10個が母音を表す記号であるが、そのままで用いられることはあまり無く、母音を論じる際には「ゼロ子音」を意味する「○」と組み合わせて「아、야、어、여、오、요、우、유、으、이」と表記することが多い。これらは厳密には「母音」ではなく「母音音節」なのであるが、ハングルには片仮名や数字と紛らわしいものも多いので、以下こちらの方を用いる。
→がこれら母音字の発音であるが、聴いてお分かりのように、日本語の/ヤユヨ/に相当する「야여요유」は、音節頭に半母音が入っており、音声学的には母音とは呼べない。
これらを除き、日本人の耳には/エ/に聞こえる/에/・/애/を加えたものが朝鮮語の音韻論的な八種類の母音である。
分解すると「ㅔ 」は「ㅓ+ㅣ」、「ㅐ」は「ㅏ+ㅣ」の二重母音ということになるが、/オイ/・/アイ/の様に分割して発音されることはなく、一つの母音として扱われており、韓国語のワープロでも一つのキーが割り当てられている。
これら八つの母音の模範的な発音と唇型は以下の通りである。
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/아/[a] ≒/ア/ |
/이/[i]≒ /イ/ |
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/우/[u]≒関西方言の/ウ/ |
/으/[ω]≒標準語の/ウ/ |
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/애/[ε]≒/エ/ |
/에/[e]≒/エ/ |
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/어/[ɔ]≒乙類/オ/ |
/오/[o]≒甲類/オ/ |
聴いての通り、日本語の/ウ/・/エ/・/オ/に相当する、或いはそれに近い母音が2つずつある。
ただ、日本語の/エ/に当たる/에/と/애/は、半島南部(韓国)に於いては発音上の区別が曖昧になっているといわれるが、北部(北朝鮮)では今でも明確に発音し分ける。
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日本語母音図 |
朝鮮語母音図 |
朝鮮語の/ㅗ/と/ㅓ/
さて、問題の2つの/O/母音、/오/と/어/である。
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朝鮮語の/ㅗ/と/ㅓ/ |
→は
/
ㅗ/と/
ㅓ/を用いて、日本語のオ段音「オコソトノ ホモヨロ」を模倣した発音である。
聞いての通り、/
ㅗ/の方は日本語のオ段音の範囲にすっぽり収まり、違和感なくオ段音に聞こえるのに対し、/
ㅓ/の方はオ段音の範囲から多少はみ出しており、オ段音と呼ぶには多少違和感があるかもしれない。
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日本語の/オ/と朝鮮語の/오/と/어/ |
しかし、これはあくまで「模範的な発音」である。
母音に許容範囲があるのは朝鮮語でも同じであり、/어/の模範的発音は↑のような発音だというだけであって、日本人が常に模範的な円唇の[o]を発音しているわけではないのと同じく、朝鮮語話者も日常会話に於いて常に↑のような模範的な/어/を発音しているわけではない。
そして、日常会話に於ける朝鮮語の/어/は、日本人の耳には違和感なく/オ/に聞こえる。
↓は、朝鮮語の「오른」(右)と「어른」(大人)、「오리」(あひる)と「어리」(鳥かご)、「소리」(声)と「서리(霜)、「놓다」(置く)と「넣다」(入れる)という単語対を、それぞれ交互に二回ずつ発音したものである。
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朝鮮語/오/ |
朝鮮語/어/ |
これらを目をつぶって聞き分けられる日本人がいるだろうか?
しかし、朝鮮語話者はこの2つの母音を目をつぶっても聞き分けられるのである。
こういう耳を持った者が↓の日本語/O/母音の条件異音を聞けば、「日本人もやはり2つの/O/母音を発音し分けている」と判断するに違いないと思うが、いかがであろうか?
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日本語/O/甲類 |
日本語/O/乙類 |
中世朝鮮語母音体系
問 題は、この「오」「어」という2つの/O/母音が7~8世紀の朝鮮語(百済語)にも有ったかどうかであるが、後述のように朝鮮語の歴史を確実に遡れるのは1443年制定の『訓民正音』までである。
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中世朝鮮語母音図 |
『訓民正音』では「ㅏ、ㅓ、ㅗ、ㅜ、ㅡ 、ㅣ」の他にも「・」という母音字が建てられている。
この/・/はIPAの[ʌ]のような発音だったと推定されており、近世になり第一音節で/아/、第二音節で/으/に吸収され消滅したと言われている。
三省堂の『言語学大辞典』は、「中世朝鮮語の母音音素は7つ」としているが、それはこの「ㅏ、ㅓ、ㅗ、ㅜ、ㅡ 、ㅣ、・」の「7つの母音字」のことを指している。
しかし、日本語の/エ/に当たる/에/と/애/が無かったわけではなく、『訓民正音』の用字例においても「체」(篩)と「채」(鞭)の様に意味弁別機能を果たしている。
従って、中世朝鮮語の母音音素は/ㅏ、ㅓ、ㅗ、ㅜ、ㅡ 、ㅣ、・、ㅔ、ㅐ/の9つだったと言うことになる。(ただ筆者は、『訓民正音』には陰陽五行説に依拠した規範論的な偏向が見られることから、/・/という母音の存在そのものを疑っている)
いずれにせよ、中世から/오/・/어/の区別が存在したことは間違いない。
2.『東國正韻』で見たオ段甲乙音漢字の発音
1443年に表音文字である『訓民正音』(ハングル)が発明され、そのハングルを用いて漢字の発音を表記した最古の韻書が1447年に刊行された『東國正韻』である。
この『訓民正音』と『東國正韻』は刊行時期を見れば解るように、李朝の世宗大王がハングル制定の為に「集賢殿」に集めた同じ学者グループによって編纂されたものである。
これより前に朝鮮で個々の漢字がどのように発音されていたかは、中国や日本語に於ける発音、朝鮮固有語の発音などと比較しながら「漢字音を以て漢字音を推定する」以外になく、正確なことは誰にも解らない。
さてこの『東國正韻』によって、上代オ段甲乙音に充当されている漢字の朝鮮に於ける発音を調べたのが以下の表である。
(なお、この時代のハングル表記法は現代と異なっており、この表はそれを現代表記に改めたものである。中世と現代の表記法の違いについて詳しいことは本書第七章参照)
見てお分かりのように、甲類漢字にはきれいに円唇の「ㅗ」または「ㅛ」母音が現れ(少数の例外も「ㅜ」という円唇母音)、乙類の「コ」「ヨ」「ロ」の乙類にはきれい非円唇の「ㅓ」「ㅕ」が現れ、他の乙類もみな非円唇の母音が現れる。
「甲類がㅗㅛなのは解るが、ソ・ト・ノの乙類にはが全くㅓㅕが現れていないじゃないか!」というかも知れないが、実は「ト乙類」に相当する「더」、「ノ乙類」に相当する「너」、「モ乙類」に相当する「머」と発音する漢字は現代にも『東國正韻』にもなく、「ソ乙類」に相当する「서」と発音する漢字は現代にはあるが『東國正韻』には一つも無いのである。
従って、百済人の書記官達はソ・ト・ノの乙類にぴったりはまる漢字が無いので、仕方なくそれに近い発音非円唇母音の漢字で間に合わせたということであろう。
「モ乙類」に相当する漢字も無いが、これは文字がないから表記できなかったというよりも、日本語の側の甲乙の差が小さく、他の非円唇母音漢字まで用いて書き分ける必要を感じなかったのだろう。
「ヲ」と「オ」が/O/という母音音節の甲乙であるという説も、「ヲ」には「ㅗ
」及び「ㅝ」などの円唇母音、「オ」には「ㅓ」及び他の乙類と同様の非円唇母音が現れることからも確かめられる
ただ「オ」の表記に頻用され、片仮名の「オ」の元字である「於」には、現代でも『東國正韻』でも
「오」「어」両方の発音が認められており、もしかすると「ヲ」か「オ」かで迷った時の便利字として用いられていたのかもしれない。
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「ソ乙類」に相当する「서」と発音する漢字は『東國正韻』には一つもない(現代漢韓辞典にはたくさんある) |
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「ト乙類」に相当する「더」、「ノ乙類」に相当する「너」、「モ乙類」に相当する「머」と発音する漢字は、現代漢韓辞典にも『東国正韻』にもない。 |
3.現代朝鮮漢字音で読んだ万葉集
さて、このように漢字やハングルなどを示し、いくら理屈で説明しても、「現代・中世の朝鮮語はそうであったかもしれないが、現代・中世朝鮮語の祖は新羅語だと言われており、7~8世紀の百済語がそうであったということ証明にはならない」とヘリクツを言う人間が必ずいる。
そこで、本書とは順序を変え、第八章を先取りする形で、『記紀万葉』を書いていたのは朝鮮語話者だったということが実感としてわかる、現代中国各地方言漢字音、及び現代朝鮮漢字音による万葉集の発音実験をお目にかけよう。(詳細は第八章参照)
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朝鮮語と中国各地方言音で
読んだ万葉集 |
現代朝鮮漢字音で
読んだ万葉集 |
上は万葉集巻五の大伴旅人の歌(通番793)
「余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子
伊与余麻須麻須 加奈之可利家理」
「ヨノナカハ ムナシキモノト シルトキシ
イヨヨマスマス カナシカリケリ」
「世の中は 空しきものと 知る時し
いよよます 悲しかりけり」
と解されている歌を、現代中国各地の方言漢字音と、「現代漢韓辞典」に載っている現代朝鮮(韓国)漢字音で発音したもの、右はこれに加え、他の4首を現代朝鮮漢字音で発音したものである。
(第八章では、朝鮮語と中国18カ所の方言漢字音で、万葉集の歌10首ずつを比較している)
どんなにヘリクツをこねるのが好きな者でも、これを聞いて朝鮮語(韓国語)で発音したものが一番日本語に近く聞こえるということを否定した者はいない。
さて、このように「現代漢韓辞典」に載っている漢字音をそのまま用いてもかなり日本語に近く聞こえるが、これまでの分析で得られた知見で補正するだけで、朝鮮語での発音はもっと日本語に近づけられる。
「余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須麻須 加奈之可利家理」の歌を例にとろう。
日本人が違和感を覚えるのは「ヨノナカハ」が「ヨヌンナカパ」、「ムナシキモノト」が「ムナシキモネトゥン」のように聞こえることであるが、
前述のように、「ト乙類」に相当する「더」、「ノ乙類」に相当する「너」、「モ乙類」に相当する「머」と発音する漢字は、現代漢韓辞典にも中世の『東国正韻』にも「ない」のである。
当然それは上代にもなかったはずで、百済人書記官達の耳には「너」「더」「머」と聞こえていたが、それにぴったり当てはまる漢字がなく、やむなく「ノ乙類」を「能(능)」「乃(내)」、「ト乙類」を「等(등)」の非円唇母音の漢字で間に合わせるしかなかったのである。
従って「能」「乃」を「너」に、「等」を「더」に置き換えて発音させれば、もっと日本語に近づく。
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補正した朝鮮語での発音 |
なお、「
ヨノナカ」「イ
ヨヨマスマス」の「余」「与」は乙類、朝鮮語では「여」である。日本の韓国語教科書、韓国の日本語教科書には、日本語の「ヨ」は円唇の「요」だと書かれているが、この音は日本人の耳には違和感なく「ヨ」に聞こえるであろう。
また日本人は「シルトキシ」の「子」が「シルトキ
チャ」のように聞こえることに違和感を覚える。
しかし、この「志流等伎子」は本当に「シルトキシ」なのであろうか?
↑の中国各地方言を聞いてみればわかるが、「子」の字の発音は皆/ツ/・/ヅ/といった発音であり、「シ」のように発音する方言はない。
従って、「子」の字の「シ」という発音は日本で後代に発生した慣用的発音であり、この一節は「シルトキ
ツ」ではなかったかと考えられる。(「シ」だったなら、この歌の中にも用いられている「之」で間に合う)
なぜなら、朝鮮語には日本語の/ツ/[tsu]・/ヅ(ズ)/[zu]に相当する音節はなく、従って/ツ/と発音する漢字もないのである。仕方なく百済人書記官達はそれに類似した「子」/チャ/で間に合わせのだと考えられる。
もしそうなら「ツ」に「子」/チャ/の字が当てられているかは朝鮮語で説明が付く。
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朝鮮語話者の
「月曜日」「シャツ」「鈴木さん」 |
(朝鮮語に/ツ/・/ヅ(ズ)/という音節がないことは、朝鮮語話者が日本語を学ぶ際の大きなネックの一つとなっており、初学者は「月」を/チュキ/、「月曜日」を/ケスヨウビ/、「シャツ」を/シャス/あるいは/シャチュ/、「鈴木」を/スジュキ/のようにしか発音できず、発音矯正に苦労する)
また、現代のハングル(訓民正音)の表記法は、制定当時からはかなり簡略化され変化しており、ハングル表記法の変化に伴う朝鮮漢字音の変化が相当ある。
例えば、後述するように、制定当時にはあった「○」(ゼロ子音)と「
ㅇ」([ŋ]音)の表記上の区別がなくなったため、本来はガ行鼻濁音[ŋo]のような発音であったはずの「呉」「五」「吾」などは、現代ではゼロ子音の[o]と発音されるようになっている。
『記紀万葉』の借音仮名に用いられている漢字を、『東國正韻』などに基づいて丹念に補正して音価を推定し、その他の朝鮮語の音韻体系に関する知識で補ってゆけば、日本語・朝鮮語共に音韻体系は1300年間殆ど変化していないことが確かめられるであろう。
4.「上代頭韻法則」は朝鮮語の法則
「上代特殊仮名遣い」が朝鮮語を母語とする百済人書記官達の用字法であったことは、
上代借音仮名全般を通じて言われる「上代頭韻法則」でも傍証される。
①母音は語頭にしか立たない
②濁音は語頭に立たない
③ラ行音は語頭に立たない
という3つの「上代頭韻法則」のうち、
①は、「ヲ」と「オ」、「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」が母音音節の甲乙だと考えれば、そんな法則はそもそも存在しない、ということは前章で述べた通りである。
そして②と③は、現代にも生きている朝鮮語の法則なのであり、このことも「記紀万葉百済帰化人記述説」を裏付ける証拠となる。
「濁音は語頭に立たない」のは朝鮮語の法則
朝鮮語には日本語でいう清音・濁音(無声音・有声音)の区別がなく、濁音(有声音)は、無気音が語中・語尾で母音や有声子音に続く場合に条件異音(conditional allophone)として現れるだけである。↓
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語頭に濁音が立たないのは朝鮮語の法則 |
従って、語頭に持ってきて濁音で発音される漢字は朝鮮語にはないのである。
例えば、「韓流ブーム」で有名な韓国人俳優の「李炳憲(이병헌)」はカタカナでは「イ・
ビョンホン」、女優の「崔志宇(최지우)」は「チェ・
ジウ」と濁音で綴られている。
しかし、この濁音もやはり「条件異音」であり、姓をとって名前の「병헌」「지우」だけなら、日本人が聞けば/
ピョンホン/・/
チウ/のようにしか聞こえない。
日朝バイリンガルだった百済人二世書記官達は、日本語に清濁音の区別があることは知っていたはずであるが、語頭の清濁音は書き分けたくても書き分ける漢字がなかったのである。
ただ、上代でも唯一、語頭のカ行音とガ行音の書き分けだけはなされているが、これも朝鮮語で説明がつく。
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朝鮮語でもガ行鼻濁音は発音できる |
朝鮮語の/
ㅇ/という子音は、現代ハングル表記では語頭に来ればゼロ子音、語尾に来れば[ŋ]音を表すが、ハングル制定当時はゼロ子音を表す「○」と[ŋ]音を表す「
ㅇ」は別の記号であった。
従って、『訓民正音』『東國正因』では、「
아이우에오 」は[a,i,u,e,o]ではなく、日本語でいう「ガ行鼻濁音」にあたる[ŋa,ŋi,ŋu,ŋe,ŋo]の様な発音であったはずであり、この発音は現代朝鮮語話者でもできる。
そして、上の表で清音の/コ/甲類の表記に用いられる「古」「高」「孤」「孤」などとは区別され、濁音の/ゴ/甲類に用いられている「呉」「誤」「五」「吾」「語」などの漢字は、みな頭子音が/ㅇ/ [ŋ]音の漢字なのである。
「ラ行音は語頭に立たない」も朝鮮語の法則
さらにもう一つの「ラ行音は語頭に立たない」という法則も、現代にも生きる朝鮮語の法則である。
市販の「韓日辞典」を調べてみればわかるが、朝鮮語では「라이스」(rice)、「리더」(leader)といった外来語を除き、/l、r/音を表す「ㄹ」が語頭にくる単語は朝鮮固有語にも漢語(漢字語)にもないのである。
また、漢字の発音を「漢韓辞典」を調べれば、韓国人の姓によくある「李」(리)、「羅」(라)などを初め「ㄹ」音の漢字は多数存在する。
但し、これら「ㄹ」音漢字が文字通りに発音されるのは語中・語尾に現れる場合だけで、姓などのように語頭に現れる場合は「ㄹ」音が脱落して無子音になったり、「ㄴ」(/n/音)に変化したりする。
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語頭にラ行音が立たないのは朝鮮語の法則 |
例えば有名な歌手の「李善姫(리선희)」の実際の発音は「이선희」、 同じく有名歌手の「羅勲児(라훈아)」の実際の発音は「나훈아」である。→
つまり日本語の側に語頭にラ行音が立つ単語があったとしても、朝鮮式借音仮名ではそれを書き分けることができないのである。
ただ、日本の「国語辞典」を引いてみると、日本語には朝鮮語と違って、外来語だけでなく漢語でラ行音が語頭に立つ単語がたくさんあるが、朝鮮語と同じく固有語(和語)にはラ行音が語頭に立つ単語はない。(例えば、「リンゴ」は和語ではなく「林檎」という漢語である)
従って、帰化人書記官達は語頭のラ行音は書き分けられないが、それ以前に書き分ける必要がなかった、という可能性もある。
韓国人や広東人などには語頭のラ行音とナ行音の区別が付かず、実際に発音出来ない者がいるが、日本人は語頭のラ行音の発音は全く苦にしない。
にもかかわらず、何故日本固有語にラ行音が語頭に立つ単語がないのかは、別の研究課題となろう。
5.『日本書紀β群』の「倭習」は「朝鮮習」
中国語学者の森博達は『日本書紀の謎を解く』(中公新書 1999)に於いて、正格漢文で書かれたα群は中国人の述作であるとする一方で、残りの非正格漢文で書かれたβ群は倭人(日本人)の述作であるとし、β群のみに見られる「倭習」を指摘している。
しかし、これらの「倭習」なるものは、全て「朝鮮習」とみなして構わないのである。
1)山田史三方は朝鮮語話者
まず、森博達は、正格漢文の「α群」の述作者として、660年の百済滅亡の際に、倭に救援を求める百済遺臣によって献上された106名の「唐人俘虜」の中にいた薩弘恪・続守言等の人物であるとし、これらが『日本書紀』完成前の600年代末頃に死去したため、やむなく倭人にその仕事を引き継がせた、としている。
そして、その仕事を引き継いで『日本書紀』を完成させた倭人として「山田史三方」(山田史御方・山田史三手)という人物を挙げている。
しかし、「史姓の氏族は100%帰化人氏族とみなして良い」というのは日本史学界の動かし難い定説であり、中国からの帰化人でないなら消去法で朝鮮からの帰化人に決まっており、しかもこの山田史三方という人物は若い頃は僧侶で、新羅に留学していたという経歴まで解っている。
これは、新羅に留学していたから朝鮮語が出来たのではなく、朝鮮語が出来たから新羅に派遣されて仏教を学んでいたと考えられ、その没年は解らないが721年の日本書紀完成まで生きていたことは確実であるから、寿命から考えると663年の白村江敗戦によって日本に亡命した百済人の日本生まれの二世で日朝バイリンガルに育った者の一人だと考えられる。(これは仮説であるが、この仮説がβ群の「倭習」から言語学的に証明できるのである)
2)語順による誤用
森博達は、β群の「若急不計」(「もし急いで計らなければ」正格漢文では「若不急計」)といった誤りは、日本語の語順に影響されたもので、「日本人特有の誤用」としているが、朝鮮語と日本語の語順はほぼ同じなのであり、これはそっくり朝鮮語の語順に影響された誤用であると考えて構わない。
3)次清音・喉音の問題
森博達は、中国語でいう次清音・喉音の[h]音の漢字、「訶」「許」「虚」「河」「胡」などが、日本語のカ行音の表記に用いられているのはβ群のみ、という事実を強調しているが、このことこそがβ群の述作者が朝鮮語話者であったことを裏付ける最大の証拠となる。
これらの漢字を『東國正韻』で調べると、、「訶=하」、「許=허
」、「虚=허 」、「河=하」、「胡=호 」と「ㅎ」という/h/音で表記されている。
そして、『訓民正音』には「ㅎ為次清音」と明記されており、現代朝鮮語学では「激音」とよばれ、その名の如く、中国語の有気音である「次清音」よりもずっと激しい呼気を伴う有気音であり、極端まで行けば/k/音に近くなる。(「カーッ、ペッ」と痰を吐くときの「カーッ」の様な発音)
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中国語と朝鮮語の「次清音」 |
→は「許」「虚」「河」「胡」の次清音漢字を、朝鮮語及び中国各地の方言で発音したものである。
聞いてお分かりのように、例えば「許」は、朝鮮語では激しい呼気を伴う/h/音であり、極端まで行けば/K/音に近くなるのに対し、中国語ではどの方言でも/シュー/・/ヒュー/・/フー/といった発音である。
これらの文字を中国人が日本語のカ行音の表記に当てるとは思えないが、朝鮮人であればこれらをカ行音の表記に用いることは十分に考えられる。
注: 『訓民正音』においては、「
ㅎ」の上部の「ヽ」のない「○の上に一」を載せた平音の/h/音記号があり(フォントがないので表示できない)、この音は「全清音」で「初声の場合は○(ゼロ子音)と相似」と解説されている。
現代では激音(次清音)の「
ㅎ」と平音(全清音)の「○の上に一」の書き分けは無くなり、「ㅎ」が両者を兼ねているため、上の「이선희」「이병헌」の例のように、呼気が弱くなる語中・語尾では「ㅎ」は殆ど発音されないが、「許」「虚」「河」「胡」などの漢字が中世以前において、激しい呼気を伴う「次清音(激音)」であったことは間違いない。
4)アクセントの問題
森博達は、中国人述作と思われるα群の日本語表記は、漢字の声調によって当時のアクセントをも反映しているが、β群にはそれがないと指摘している。
朝鮮語はアクセントが意味弁別に機能しない「非音調言語」(non-tone language)であり、当然、朝鮮式漢字音にも声調はなく、朝鮮式借音仮名による日本語表記でアクセントが反映されることはない。
(但し、前章で述べたように、オ段音の「夜」と「世」のように、アクセントの違いの副産物して生じた母音の違いを書き分けることはある)